原発事故への対応

東日本大震災による福島第一原発の事故は、事故数日間の危機的事態を脱したとは言え、それに続く強い放射能漏えいの深刻さは想像を絶するものがある。とりわけ炉心から漏えいしていると思われる放射能の量と強さはついに海洋汚染まで引き起こし始めた。外部注水で炉心を冷やす限りこの漏えいは止まらない事から、循環ポンプによる冷却機能の回復が一刻も急がれる。しかし、ポンプ建屋の放射線の強さは人の立ち入りを数分も許さないほどの強さである事から、修復作業を可能にするためには、早急に漏れ出した冷却水の回収が急がれる。間もなく震災後一カ月経つが、今だに終息の見通しどころかさらなる深刻な事態の回避すら目途が立っていない。追い打ちをかけるように7日深夜のマグニチュード7.1の余震で広域停電が発生し、東北地方にある他の原発や関連施設で外部電源の途絶という事態が発生した。この事態は日本の原発施設の安全神話という虚構が完全に瓦解したことをしめしていてる。重大事故が起こらないようにする対策も起った時の対策もまったく機能せず、原発の継続に強い不信感と拒絶をもたらしてしまった。原発は目先の電力供給や経済効率を優先して導入されたものであり、廃炉費用、使用済み核燃料や廃棄物の処理・保管の見通しが無いまま推進された経緯があり、さらに今回のような大規模な重大事故となるとその後処理に途方もない年数と経費とリスクを伴うものであることが認識されていなかった、あるいはそれらが隠蔽されてきたと言わざるを得ない。国民は使用済み核燃料や廃棄物の処理、廃炉処理がどのようなものであるかを具体的に殆ど知らされてこなかった。使用済み核燃料がどれほどの期間、強制冷却する必要があるかなど専門家以外にだれも知らなかったことであろう。また、地震国日本、明治三陸津波から100年も経っていないで建設された福島第一原発のいかにも貧弱な防波堤、防潮堤を空撮映像で見るにつけ、これが万全な原発なのかと誰しも目を疑ったことに違いない。結果論を語っても仕方がないが、万全というからにはせめて10mの防潮堤でもあれば、非常用電源も流されずに済んだと想像され、何とも無念で悲しいことか。今すぐにも東南海地震の想定域にある浜岡原発の停止もしくは最大限の地震津波対策を進め、他の原発も同様の措置を講じて欲しい。当事者として電力会社は当然の責任を負わなければならないが、疲弊しきっている当事者に押しつけることは危険であり、原発を推進してきた政府は、あらゆる手段をこうじてこの非常事態を打開しなければならない。電力会社はお詫び姿勢に徹するばかりでなく、事態を冷静に分析し、国民に説明する事が求められている。特に、6日の低レベル排水の放水に当たってのお詫び会見は、情に訴える悲痛な説明に終始し、報道を聞く身にとっても辛いものであった。毎時5tが漏れ出ているとされる高レベル排水を防ぎえてない状況の中で全体でもその5ℓにしか相当ない低レベル排水の投棄は事態の深刻さ、緊急さを客観視すれば一刻の猶予もない選択であるはであり、情に訴える問題ではなかったはずであると強く思った。