いやます閉塞感

リーマンショック、9.11、あるいはイラク戦争以降だうか、気がつけば世の中いつのまにか漠然とした閉塞感に捕われていると思う人は多いのではないだろうか。右肩上がりの経済成長が期待できなくなっとことも、人口減少期に入ったことも、世界各地のテロの頻発も、あれもこれもその要因になっているのだろう。もっとも世代によってこのような悲観的な気分は大きく違うものなのかも知れない。一般に老人になれば、過去を懐かしみ、将来に不安を抱くことが大きくなるものだろう。私を例にとれば50代迄は何ほども未来に対する閉塞感を持っていなかったように思うが、但しその頃までとは国内的にも国際的にも社会の様相が大きく違ってきたとは確かだ。若者の就職も給与もまだ何とか維持できていた。現在の若者のどの程度が一昔よりも悲観的で懐疑的な気分で生きているかはわからないが、今報道に流れる国内、国外の事件、事情の多くは、排他的で暗く、悲劇的なものが圧倒的に多いように思われ、無理をしてでも明るいニュースや新しい便利な商品を喧伝しているようにも思われる。スマホに代表される便利な機器や新機能の商品は巷にあふれ、なるぼど物質的な豊かさにはいささかの陰もないように思われる。しかし、若者から老人まで、過去と比べて精神的、文化的な充足感はどの程度の水準にあるのだうか。