この一年

今年もあと三日で新年を迎える。新年といっても日々の連続性は変わらないし、特にも退職した身にとって仕事の上での新しい年の目標などはなくなってしまった。それでも年末年始は節目であり、過ぎ去った年を振り返り、来年へのささやかな願いを思い描いてみる。この一年、まずは健康でいられたことが一番だし、そのための努力もやってきたつもりである。日に一時間以上の運動は260日くらいはできたが、健診の結果にはそれほど効果はみられなかった。食事もそれなりに気を使って、出来るだけ肉を青魚にしてきたつもりだったのだが。コマーシャルは別にしても1週間ほどの運動や食事内容の改善で健康の指標となる数値が改善される例が数多く紹介されるのを見聞きしていると、いまさらのように本当かなと思ってしまいたくなる。とはいえ、年も年だし現状がそこそこならば良しとしなければ、今更これ以上の摂生もと思ってしまう。身辺のことでは、大きな幸もなく不幸もなく穏やかな1年だったし、気まま暮らしを堪能できたので満足である。
目を外に転ずると、今年一番気になった言葉は、「無縁社会」である。厭な言葉ではあるが、高齢化社会のさらなる進行も要因となって益々増加すると思われ、これに関する報道も多かった。高齢者の所在不明も含めて、いろんなケースがあるようだが、望まなくしてそのような状況になっている人達をまずは見つけ出し、さらに支援のための具体的な行動をとることが行政のみならず地域社会には求められる。地域には町内会を単位とした民生委員という役職があるが、この頃はプライバシーの尊重とか個人情報の尊重とかで活動にも限界があるように聴いている。それら自体はとても大切なことであるが、あまりにも杓子定規に考えて事なかれ主義や活動の回避理由にされているようにも思う。要はその事の内容が問題であり、支援を必要としている人達を見逃していることになってはいないか考えてみなければならない。
世の中、多くの人達が期待した政治も期待はずれどころか失望と沈滞の1年であった。鳩山続く管総理の支持率の急落に示されるように政策がちぐはぐで言葉の重みを感じられないばかりか、背信的なことすら多かった。政争や内紛で肝心の外に向けての主張や取り組みは本当に情けないばかりであったように思う。国際的な状況を強く反映するとはいえ、日本の経済の低迷は手の打ちどころがないようにすら思われとりわけ心配である。円高(悪い面だけではないのだろうが)、それによる輸出分野への悪影響や征さん拠点の海外への移転、されらによる雇用の減少や産業の空洞化は深刻であり所得の減少と消費減退など暗い影を落とすものばかりであった。とりわけ若年労働者の雇用難は、単に労働力に止まらず、技術的、文化的な次世代への負の遺産を背負うことになるだけに雇用の確保に向け取り組まなければならないことと思う。明るい話題を見つけることが困難な一年ではあったが、マスコミ的にはノーベル賞、惑星探査機の帰還などが救いでもあった。2011年が平安でだれもがそこそこの幸せを感じられるような1年であってほしいと願わずにはいられない。