電子情報機器の光と影

パソコンが普及し始めて30年余りになるだろうか。日進月歩で機能やソフトが進歩、当時40歳くらいからそれを利用するのに四苦八苦し続けた。10年程前からは機能やソフトの改良もここにきてやや緩やかになってきたように感じる。とりわけ進歩と普及の早かったものに光ファイバー通信、インターネットや記憶媒体の大容量化、小型化などによる使い勝手の向上が目覚ましい。大変結構なことではあるが、その途上で利用してきたビデオテープやビデオカメラ、フロッピーデスク、さまざまなワープロ表計算ソフトなどよほどこまめに管理していないとデータを再生できないことになってしまう。一方、もうすぐテレビはアナログからデジタル地上波に移行するが、さすがにこちらのほうはかなり以前から予告されていたので、それほどの混乱はないようだが(機器の製造販売などの経済的目算、視聴者側には負担があったが)、それでも50万世帯がなお未対応であるという。パソコンなどの電子機器はかなり能動的な行動を必要とするため、アクティブでないと生活に取り込めないが、テレビは録画などを除けばその利用は受動的であり、公共放送も含まれるため情報源としての性格が大きく違っている。パソコンの世界では、入力キーやマウスを使って入力することが基本操作として必要であるが、最近ではそれ以外に音声、動作、視線から入力できるインターフェイスが開発、実用化されつつあるという。こうなるとパソコン自体が脳の一部にとってかわっていくようで便利になるには違いないのだろうが、人間活動の退行につながって行くような気分がしないでもない。情報機器の利便性は大なるところであるが、身近なところでは漢字筆記力や対話力の低下、サイバー攻撃、個人情報の流失など多くの影もあり、さらなる将来において、携帯やパソコンなどの電子情報機器の開発と利用が、人間社会にどのような光と影をもたらすのであろうか。